推敲の言語

前の文は実験的に、一切デリートを使う事なくやって見た。何とか読めなくはないとは思うが、自分でも所々、これ何?ってのはあるな。

英語に多少なりとも携わっている身として、やっぱり多様性は重要だなあ、と思う。あの言語に出来ない事も相当にある。俺は英語教育に反対の立場なので。こんなのやらなくて良いよ、いずれグーグルが全部翻訳してくれる。

日本語の欠点は前の記事の通り、兎に角変換が面倒過ぎる。英文の場合はスペルチェック、現在はその先の語法とかまでチェックしてくれるんだけど、日本語でそんなソフトは聞いた事がないな。

作れねえだろう、面倒過ぎて。どれだけのデータベースがいる事やら、で、実践レベル迄持って行くのにどれ程掛かる事やら、変則とか例外とか多過ぎて、多分誰もやらない。

でも、日本語はそれが魅力。推敲しなければならない言語だからこそ、奥ゆかしさに繋がる。逆に言えば、即断出来ない、見直すってのが日常的習慣になっている。見直さないで出す文とか、怖いので。

当然一長一短だが、どちらを優先するかと言うだけの話よ。当然俺は日本語が好き。日本人は確かに発言しにくくて、ディベートなんかでは押されがちではあるだろうけど、良く考えて、訥々と話す、別に悪くないと思うよ。

結局言語は相手への到達を目標にしていて、多分、どちらも変わらん、沢山話した結果、どうせ然程伝わらんし、口数は少なくても刺さる一撃はあるし。優劣はねえよ、別に英語、全然推薦しないね、やらなくて良いよ。

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