時は来た

管巻き

それだけだ。良いんじゃねえか、人生何かの切っ掛けだ、それで変わる。自分の意思で変えようと思っても、いつ変えて良い物だかさっぱり分かりゃあしねえ。結局人間なんて、流されて生きるものよ、川の流れの様に。

天運だな、変えるべき時が来たと言うだけの事。抑々最終的には佐賀に帰る運命だったのだし、別に何も予定とは違いやしねえ。それがちょっと早まった、って位だろう、寧ろ背中を押してくれた隣の気違いに感謝しても良い。

各地に散らばってくれりゃあ、偶の旅行の言い訳にもなって、俺とすりゃあ都合は良いな。これも又天運よ、自分でどこかに行こうと思っても、その目的地すら決めるのは困難だったりする。

世界はそれなりに広いからね、選択肢は幾らでもある。日々忙しくて、偶にはどこかになんていつも思ってはいるが、いざ暇となるとどうして良い物やら途方に暮れる、そんなもんだろう?皆。

誰かがどこかにいれば、そこに行く理由が出来る。佐賀のあんな山奥、そう言う理由がなければ一生行く事もなかったろうし。そう言う意味では、切欠を作ってくれるだけでも出会いと言うのには意味がある。

なーんとなく生きて、なーんとなく死ぬ、そんなもんじゃねえか?生にも死にも意味なんてありゃしねえ、そこに何かを求めるのが違う、只目の前の事を、それだけで十分だろう。

コメント

  1. ミチヲ より:

    ありがとうございます。たしかにこんな機会がなければ帰るという決断もしなかったですね。師匠の仕事が潰れて暇になった時には是非是非佐賀の山奥まで遊びにきてください。猪でも捕まえて焼肉の準備ぐらいはしときます。
    確認したら師匠のブログに最初にコメントしたのがほぼ10年前でした、知り合って10年たつんすね早いものですね。最初はみっちーでしたが師匠からミチヲというあだ名をつけられたのは忘れませんよ

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