実験

日本語はパソコンによって駆逐される。変換が面倒すぎる。今回ちょっと実験的に一切画面をチェックsる子となく打ってみた。読めなくはない。でも、これがもし英語だったらならば、後で治すのは非常に簡単だ、赤線が引っ張っているところだけいればよいのだから。が、日本語の場合は、全部遂行するしかない。今後日本語の文法等もチェックしてくれるものが出てこなくはないだろうけど、その制度はいかばかりか。なかなかそういうアルゴリズムを作るのは難しい様な気は吸うね、俺には分からん世界だけど。でも、英語ならバンストレート、後は機械がチェックしてくれるしね、日本語みたいな文字の美しさとかも無縁の賀、ただ用を足すには容易言語なのだろうと思う。それを変に難しく文法なんかを教えている俺はいつも自問自答しながら、でも、うちは塾だし、もく法の場所が底である以上それに合わせなきゃならないから、と言う言い訳をしながら、無駄だとわかりつつも教えている。不毛の連鎖。どうしようもない、少なくとも俺はこの看板でやっている以上、どうにもならなに事で。もし看板を買えるならば対象も大きく変わるし、やる事も変わる、でも俺が目指すべきところはそれじゃない、早いうちから英語とか、まったく賛成していないから、数年で詰め込んでそこそこ、これが俺の目標、むしろ、王いう科目で仮面をかぶりながら、俺が教えているのはもっとその中身、言語の問題じゃb内、人間としての。英語に本質とかねえな、あるのは人間の本質だけ。言語は飽く迄も道具、福みたいなものだ。どちらかと言うと、言語が先で思考は後、これは思っているのだが、ならなおさら、日本で育ってしまったら、もう日本語が中身になっているのだし、どう変わりようもない、特に中学生高校生ともなれば。別にここに俺は文句もないし、自信が日本人である以上、俺は日本語を最優先で推奨するし、ほかの言語は必要最低限で、となるのが必然。ゆえに、俺の現在のスタンスは今後も一切変わらない。直読ちょっかいとかくそくらえ、なら、最初からアメリカへ行け、移民の国だ、受け入れてくれるよ、たぶん。この国に住みながらその目標は絶対に無理だね、断言する、できた気になるだけ。キムひょうんひの話を思い出すな、完全目視だったけど、そこで素性を割り出すために、ふろ場で熱湯をかけたとか。そこで出る叫びはどうやっても本のんの本当のところ、隠しようがない。バイリンガルなら2通り出るのだろうか、研究してみたいね、言葉は一言しか発せないのだから、自分の本来の物が必然的に出てしまうのだと思うが。で、金賢姫はばれたとか。

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