【和食28】ドイツ観念論

旧コラム

ジンテーゼは両方を合わせたもの。日本語では「合」。syn-、英語では「シン」って発音だが、これは「一緒に、同じ」って意味の接頭辞。「シンクロ(synchronize)」「シナジー(synergy)」「シンパシー(sympathy)」辺りは有名だろう。

このように、矛盾し合うテーゼとアンチテーゼが、対話をしていくことによって次の形態へ変化していく、この過程を弁証法(dialectic)と呼ぶ。英語でdialogueは「会話、対話」と言う意味で、そこから派生しているのがこのdialectic。

「弁証法」とか、難しい訳語をつけるから良くないんだよね、哲学って。「会話法」「対話法」ならまだ取っ付き易いのに。ま、何にせよ、矛盾するものが、会話や交流によって、次の新しいステージに行く、ぐらいに考えてくれ。

元の話に戻せば、日本古来の文化と外国文化、これが交流して新たに生まれ変わったのが現代の日本文化だ。古来の日本文化を保持しながらも西欧文化に近い、両者を取り込んだもの、と言うこと。

このように変化することを「アウフヘーベン」と呼ぶ。ドイツ語で「aufheben」とは、「廃棄する、否定する」の意味と「保存する、高める」と言う、全く逆の意味の両方を指す。

矛盾する御互いが、「廃棄」したり「保存」したり、交互に混ざり合いながら昇華していくことをアウフヘーベンと呼んでいる訳だ。ヘーゲルはこの考え方、観念、で、世界の全てを説明しようとした。哲学では、ドイツ観念論、と呼ぶ。

(続)

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