【新しい表現を・11】御里が知れる

実例を。「熊」「食べれる」、これだけで誤解がない。「ら」抜き言葉は「可能」の意味でしか使わないので、誤解が起こり得ない。「ら」抜き言葉は「受身」では使われない。

つまり、敢えて「ら」を抜く事で、前後の文脈関係なしに、100%「可能」になる。これが正式な用法になった暁には、「食べられる」は「受身」として解釈される(「尊敬」の場合を除いて)。

な?便利だろ、「ら」抜き言葉。そもそも、他の動詞の多くは可能と受身は区別出来る。例えば、「飲む」は「飲める」「飲まれる」、「食う」は「食える」「食われる」。が、「食べる」はどちらも「食べられる」、ナンセンスの極み。だからこそ、「食べる」「食べれる」「食べられる」となるべき、と言う事。

白状すると、「ら」抜き言葉を使う奴は見下していた。教養のないごみが、御里が知れるわ、とね。ある時にこんな議論がある事をネットで知って、もう完全に論破されたと感じた。この屈辱感、挫折。負けたら負けたで開き直って、今はこう。

御里が知れる、と書いたが、これも「知れる」「知られる」で可能と受身を区別しているんだよね。見た目「ら」抜き言葉だが、これが正式。「知る」は五段活用だからこうであって下一段活用の「食べる」では「ら」を抜かないとか、そんなルールの方が馬鹿げている。

こう頭では理解した現在でも、本能が、ね。言葉ってのはつくづく因果な物よ。「ら」抜き言葉に出会った瞬間に、ぴくっと反応してしまう性。意図しないと「ら」抜き言葉を使えない。外国語の様だ。幼い内に骨の髄まで教科書的日本語表現が叩き込まれているから、直すのが困難。御里が知れる。

(続)


右が慶留間小中学校のグラウンド。

こんな自然に囲まれて育ってみたいね、一度ぐらい。

これでも水深はそれなりにあるからな。

この空港はほぼ使われていない。定期便はなく、チャーターのみ。

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