【新しい表現を・3】ノーベル文学賞で喜ぶな

ただ、思考というのは言語に規定される部分が大きいから、日本語ならではの発想もある。俺は日本人として生まれて日本語を愛しているので、これを捨て去りたいとは思わない。

英語は飽くまでもおまけで、片言で最低限の意思疎通が出来れば十分、どっぷりとは浸かりたくない。俺はそう言う国際人じゃないしね。

日本を出る気はないから、そんな時間があるなら、もっと自らの日本語を磨きたい。日本語により規定される、日本人ならではの思考ってのも絶対にある。折角日本人に生まれて日本語を使っているんだから、それを満喫すべきだと思うね。

ノーベル文学賞ほど下らない賞はないと、俺は思っている。日本文学を日本語に堪能にならずに、その文化の背景を細々と知る事もなしに、日本文学を理解出来る外国人なぞいる筈もない。

翻訳は飽くまでも翻訳、それ以上でも以下でもない。ただの解説書。原書で読んでいない奴がその作品を評価するとか愚の骨頂。

俺が外国文学を真の意味で評価出来ないのと同様、日本文学を評価出来るノーベル文学賞の選考者なぞ片手ほどもいない事は確実。大江は糞だし村上にはやらんでいい。

(続)


って事で、写真を選ぶのが面倒だから、無作為に順番に張り付ける事にした。

記事のおまけだしね、これ。

写真で少しは沖縄らしさが出たら良いな、って程度。

本文がメインであって、これは付録。

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