【三跪九叩頭・2】清とイギリス

誰がやるか?そりゃ、皇帝の臣下は、皇帝に謁見する時にやらないとならん。別に、国内でどんな風習をしてようが、周りが口を出す事でもない。勝手にやりゃあいい。

さてさて、当時の清、いや、清に限らず歴代の中国の王朝は、名前の通り、自国こそが文化・文明の中心であって、周囲は野蛮人、と言うスタンス。となれば、野蛮人が皇帝に謁見する時には、三跪九叩等は当然、となる。

日本の場合、海を隔てているし、中国に攻め込まれたのは元寇の時だけで、それも撃退出来たから、中国に征服された事はない。交易は多少あったけど、明確に「臣下」としての立場を取ったのは室町幕府の時、金閣を建てた足利義満が始めた勘合貿易だけで、それでも「臣下」は形だけ。

三跪九叩頭の礼が確立したのは清朝になってからで、その頃日本は江戸時代、鎖国体制になりつつあったから、当然「臣下」と言う立場は取っていない。貿易も長崎を通じて細々と行われていた程度。正式な外交関係はなかったので、三跪九叩頭もない。

産業革命を達成して世界を股に掛ける様になったイギリスは、当然東アジアにも進出、清朝と広く通商を求めた。イギリスの大使、最初はマカートニー、次にアマースト、二人とも、皇帝への謁見の際に三跪九叩頭を求められ、まあ、こんな屈辱に従う方がおかしいけど、当然拒否。結果、貿易改善の交渉は頓挫した。

アヘン戦争、歴史の教科書を読めば、イギリスがとんでもない悪の帝国にしか思えない。清がイギリスの貿易改善交渉を拒否した為、イギリスは清にアヘンを売り付け始め、それを摘発した清と戦争になった。結果、イギリスが勝利、この後、清はアヘンを堂々と売り付けられる羽目になり、植民地化も始まった。

(続)


ど田舎。静かで良いよ。

山と海。

海がもう少し近いと楽だが。

駐車場が狭いのが良くない。

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