英語に熱を上げる奴は阿呆・1

管巻き

常々思っている事。目的と手段の違いを完全に見失っている。愚か、と言うか、憐れ。語学にのめり込む奴って、はっきり言えば、低能。言語なんてどうでも良いんだよね、その先の思考に目を向けようよ。

英語を一生懸命やる事に、何らの意義は唱えない。ただ、その先に、何を勉強したいんだろう?これは問いたい。ここに明確な目標がある奴には、何も言わないよ、頑張って。

白人至高主義なのか知らんが、英語が話せると偉いと思っている。話せないと駄目か?これ、結構、日本人側のコンプレックスで、俺も多少は色々と接したんだけど、外国人って、皆揃って、日本語を話せなくて御免なさい、って所から会話をする。

奴らは遥かに日本をリスペクトしてくれている。奴らは、自分も出来たら、ここ日本に来ている以上、郷に入れば郷に従えとは思うから、なるべく合わせて会話したいけど、自分は無能だから、英語程度で誤魔化して話して良いですか、こんな感じの事を言う。

じゃあ、勉強してから来いよ、って俺も言いたいけど、実際、この複雑な世の中で日本語だけに時間を割くのも阿呆らしいし、全然出来てなくても良い。そこに文句は言わん。でも、英語って言う、不慣れな言語を御互いに使うのだから、そう言うもんだと思って会話しようよ、ってだけ。

英語被れって、本当に気持ち悪い。本末転倒だから。何で英語が要るの?で、英語を学んだ意義は?どう役に立つの?実際、どう使っているの?どう言う風にプラスになるの?多分、何一つ答えられない。

(続)


佐賀の町。

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