金を稼げれば善

士農工商の時代錯誤、の続き。

職業差別をするということは身分制度の肯定であり、自由と平等の否定でもある。江戸時代以前の前近代的な身分制と社会秩序が理想だというのなら勝手に職業差別をすれば良い。

職業に貴賤のラインを引くということは必ず差別につながる。インドに今なお深く根付く差別の元であるカースト制度も、血統による身分制と、職業、地縁、血縁的な共同体であるジャーティーが密接に関連している。

インドに限らずどこの地域でも、また、昔も今も、職業は世襲であることが多いので、ここに差別を設ければ、それが身分の固定化を進め、職業選択の自由も狭まり、結果平等とは程遠い社会になる。

宗教改革から資本主義が生まれたのも同じ。宗教というのは本来禁欲的なものであるから、「欲望を叶えるもの」である「金」は当然否定される。だから「金儲け」は悪であり、「商売」は卑賤な職業であった。

だが、カルヴァンらの宗教改革で、「善行に励むということは職業に励むことであり、その善行の結果が利潤である」と変わった。つまり、商人の金儲けが肯定された。

それどころか、「金を儲けるというのは隣人に何かをして感謝されたことを意味する」のだから、むしろ奨励されることになったわけだ。これが近代資本主義に繋がった。つまり、金を稼げる職業は全て善である、ということだ。

(続)

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