語彙力・3

抑々、音が皆同じ様に聞こえているとは限らん。音楽にだって各個人好みがあるし、俺の様な音痴は音階なんて全く分からんし、lrの区別だって、全然。もう、聞き分ける気も喋り分ける気もない。

これを、聞き分けろ、喋り分けろ、って、カラオケで、もっと上手く歌え!音程しっかりしろ!みたいなもんじゃねえか。カラオケが下手な事は、罪か?

こんな俺でも、英語を読むとなったら全く問題なく、恐らくのケース、大概の奴よりも、特に評論文の様な難解な文になればなるほど、口語英語しか出来ない奴なんかよりも速く正確に読めるんだけど、これは英語力とは言わない?

知性って、何よ?

俺は、究極には、書物、つまり、読みと書きだけ、だと思っている。数学などの理系科目においてプレゼンは全く必要ない。最終的には、数式だけで証明される。偉大な数学者が糞みたいなどもりでどんなに分かり辛いプレゼンをしようが、式が全てを伝えてくれる。

知性に、話す、聞く、これは不要。書物になる事によって、純粋な知性が出来上がる。木材を燃やして木炭を作る様に。

面と向かって話す時、人間は、相手の知性を純粋に感じ取る事は不可能だ。外見、声のトーン、スピード、様々な雑念が入り込んで来て、それが先入観を形作ってしまう。

例えば、格闘技についての素晴らしい理論の本を、誰が書いているか一切明かされる事なく読んだとする。で、確かに素晴らしいと思った。で、著者を明かされる。猪木だった。ああ、やっぱりな、流石。ところが、乙武だったとしたらどうか。

乙武が格闘技の講演会をやるとなったら、それがどんなに格闘技を見て研究して、素晴らしい、専門家からも太鼓判を押される様な理論だったとしても、まあ、聞きに来る奴は多くはないだろう。

(続)


渡嘉敷島の北東から。

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