有りの侭に見る

芸術と言うのは本来、ありとあらゆる情報を遮断して見る、聞く、べき物ではある。誰が書いたか、作曲したか、タイトルは何か、こう言うのは、本来は要らない。

寧ろ、邪魔になる。大御所が描いた物となれば、そう言う目で見る訳で、粗批判は許されない。無名の物であれば、自由に批判が出来る空気が出来る。これは結局、その権威に依存している訳で。

本当にその作品その物を見ている訳ではない。タイトルを見て、まあそんなもんか、只知識として取り入れているだけで、鑑賞とは言い難いだろう。

俺にはこの才能はねえな。こうやって過去の記事を張り付ける際に、写真も只何も考えずにその侭なのだが、これを只見る、と言う事が出来ない。

あれ?これどこで撮ったっけ?どこの景色だ?いつの?こんな事しか頭に浮かばない。写真その物を見てそれだけを楽しむ、そこから先は要らない、そんな風にならん。

芸術的才能は皆無であろうとは自覚しているが、こう言う事にふと気付くと、少し落胆する。芸術家には俺が見えていない物が見えているのだろう。そんな世界に憧れはする。只、逆も又真だとは思うけどね。俺は俺の見える世界で。

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