日記とは・2

言葉なんて抑々自由な物で、人がどう話そうが構わない。辞書は飽くまでそれをデータとして集めた物で、多数派の意見が書かれているだけ。多数派かどうかも分かりゃあしねえ。寧ろ学者の一方的な押し付けですらある。

だから、自由に表現したら良い。良く、誤用が指摘される。「情けは人の為ならず」みたいな。でも、誤用とかない。自分が思っている様に使えば良いだけの事。それがいずれ多数派になって意味がひっくり返った例は幾らでもある。

抑々、言葉ってのが、日本語って統一された揺るぎない物がある様に思われるけど、実はそんな事は全然なく、常に揺らいでどんどん変化する物。

だから、完全な意思疎通なんて土台無理。つまり、文章も、俺の意図が完全に伝わる事なんざ全くなくて、寧ろ3分の1どころか10分の1も伝わっているかも怪しい。

そう考えれば、沢山書いて行く中で、どっか、読み手の心に引っ掛かる文が多少なりとも作れただけで十分満足すべきなのだろうと思う。

だから文は質より量なのかなあ、と言う思いも。少なくとも、日記風に綴るブログなんて物はそうだろう。だから、真剣に推敲なんてする必要もないかな。と言う言い訳をして、今後駄文を垂れ流そう。(終)

水納島のフェリーから見た本部。
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