皿の良さが分からない

まちぐゎー歩きで壷屋を通る事も多いのだが、この趣味が全く分からない。食器とかに拘る意味って何なんだろう、理解出来ない趣味。

この器に盛り付けると料理が美味くなります、ってんなら意味はあると思うが、そうじゃない訳でよ。気分が違うから美味く感じられる、ってんなら、最早自分の舌を否定している事でもあるよな?

器によって味が変わると言うなら、そいつは結局、舌で味を感じてはいない。恐らく、店の雰囲気、抑々、高級店かどうか、評判の店かどうか、という先入観で判断している。頭で食っている。情報を食っている。

皿に拘るなら、便器にも拘ったら良いのに。楽しく食事する為に皿があるのならば、食えば糞は出る、自然の摂理なんだから、楽しく糞をする為に便器にも拘るべきだと思う。

でも、名匠が作った便器とか、余り聞かないなあ。何でよ、こっちは手抜きかよ。皿が、食事の種類によって色々変わるならば、便器も、それに応じてそれぞれ変わるべきだ。

便器にももっと趣向を凝らすべきだろう。その日の気分とか、出る物によって、色々と変わっても良い筈だ。当たり前だが、こんな事は思わないから、だから、皿もどうでも良い。壷屋の価値は?


恒例の花火。

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