ネットの知

前の続き。

現代のような大衆文化がいち早く花開いたアメリカでは、哲学は全然発達しなかったのも良い例。一応プラグマティズムなんてのもあるが、主流って感じではないな。下らねえ思索をするより、わかりやすい娯楽の方が受けるわけで。

ま、哲学の話はこの辺で。俺自身嫌いなものであるので、別に人に勧めている訳では全くない。単に、俺の感想文みたいなもの。こんな底辺サイトに来ているんだから、こんな下らない話にも付き合ってくれよ、どうせ暇だろ?

これ、皮肉な。気付けよ?最初の方で、「哲学は暇潰し」と書いている。つまり、どうせ暇なら暇潰ししたら?ということだ。打っている最中に退屈凌ぎにスマホでゲームするよりかは何ぼかましかもね、哲学って。

次の話へ。今回この「構造主義」を調べて思ったことだが、「ネットの知」って、あまり過信しても駄目なんだな、と。ウィキペディアがあるし、何とでもなると思っていたが、全てのことを調べられるわけではない。当たり前の話ではあるが。

まだまだネットも万能ではないな。我々が生きる上での基礎的常識的レベルの知には十分に効果を発揮するのであろうが、本格的な学問となると手も足も出ない感がある。

そもそも、レヴィ=ストロースの著作を見ると、日本語に翻訳されていないものも多い。研究者はフランス語の原書に当たるか、英訳などを読むことになる。これをできる人間が世の中にどれほどいるだろうか。

(続)

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