【九州紀行・32】リーダーの覚悟

旅行記

義足も飾られていた。外務大臣として欧米から押し付けられた不平等条約改正交渉に当たっていた時、不利な条件付きの改正に憤った右翼団体玄洋社の青年、来島恒喜に爆弾を投げつけられ、右足を失って以降使っていた義足。

あの当時はがんがん政治家が暗殺される時代。大久保利通伊藤博文原敬浜口雄幸犬養毅高橋是清斎藤実。そんなものを恐れて政治は出来ん、と言う気概がないと政治家なんてやってられん。

大隈は、右足を失った後も、「若者が世論を変えようと言う情熱故の事、憎いとは思わない、寧ろ感心する。それに、文明の利器にてやられたのであるから、これもまた良し。」と言っていたそうだ。なお、やった来島はその現場で自害している。

板垣退助は襲われても一命を取り留めたが、その時に、「板垣死すとも自由は死せず(吾死するとも自由は死せん、が本当らしい)」と言ったと言われる。その犯人の恩赦を請願して、実際に通った。

犬養毅も、撃たれた後に、「今撃った男を連れて来い、話して聞かせるから。」と言ったとか。

すげえ話よ。襲撃されて、今際の際にこんな言葉を言える奴が、今の政治家にどれほどいる事やら。泣き喚いて、「犯人はすぐに死刑にしろ!」とか言いそう。

リーダーたる者、覚悟はいるよ。世論が完全に一つにまとまる訳がない。必ず誰かからは恨みを持たれる。それでも自分の信念を貫いて強行する以上、常に心は戦場にあるべし。命を惜しんでいてはいかん。

(続)


良く教科書で見る顔。

日本女子大と早稲田は繋がりが深い。

パークスとの論争が大隈を注目させた。

義足。当時の技術だから、かなり不便だっただろう。

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