だが、後10年と言われれば絶対に無理。つまり、効率性を考えないで勉強法とか、有り得ない。人間の時間が有限である以上、これは絶対だ。ここを無視して、慣れがベストと言うのは、ほぼ勉強法に関して全否定しているに等しい。
勉強法を提示する以上、最小限の労力で最大限の効率を目指さなければならない。王道はないと言うが、王道らしき物を見出してそれを提示する事、少なくともそれが教師の役割。そうでないなら教師なんて必要がない。
160kmの直球だって、誰にも教えて貰わんでも、慣れれば打てるようになるよ、俺も、コースが一定なら。何球もそればっかり投げてくれればね。5年ぐらい掛かるかも知れんが。
現実的に、世の中にはこれだけ毎日毎日書物が出ている。もう何十年もずっと。でも、どの学問であれ、最高に効率良い勉強法が提示された書物は今までに一度たりとも、ない。つまり、そんな物、ないってこった。
日本人が英語に接して150年以上、ぼちぼち、どれか一冊、英語の勉強法の最高傑作が出ても良い筈なのだが、そんな事はない。これが何を意味するか。ただ一つ、この世に万人に当て嵌まるベストの方法なんてないと言う事だ。
結局、自分で探すしかない。教える方は、相手の様子を見ながらそのサポートが出来るだけ。柔軟性を持つしかない。ただ一つの道なんて一切ない。
つまり、俺の仕事ってのは、相手への対処法なんだな、と。こう考えると、俺が力を注いでいる方向は間違っているんじゃないかなと、いつも思う。
(続)
古座間味は一度は来るべき。
座間味の展望台から。
この湖の様な湾も一度は。
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