常用漢字って、もっと増やして良い。最近の教育現場では「書き」よりも「読み」にシフトしていると聞いたし、ならもっと思い切って、書けはしないけど読めはする、と言う漢字を大量に常用漢字にぶち込んでしまえば良い。
以上は漢字の変換の話。ただ、変換機能にも大いに危機感は持っている。一言で言えば創造性がないから。変換と言う箍に嵌まってしまったら、新しい言葉は生まれない。そこにとてつもない不安を感じる。
言語が時代によりどんどん変わっているって事に異論はない筈だ。明治期の文学ですら現代人には読みづらいし、江戸以前なんて以ての外。古文漢文と言う括りになって来るんで、その知識がないと無理。
言葉は固定化されて良い物ではなく、それを使う人が自由に使いやすい様に変えて行くべき物。言葉自体に正誤はない。例え辞書に誤りと判定されても、多くの人間が使い続ければそれは正しくなる。以前にも書いた、「情けは人の為ならず」とか「二の腕」とか。いくらでもある。
前にこの話、書いたっけ?ちょっと覚えていないから、書くよ、「ら抜き言葉」。
「この釣れた魚、食べれるかなあ?」「食べれるでしょ。」
公立小学校の低学歴老齢国語教師、特にババア、なら激怒するんだろうな、これ。目を三角にして、幼い可愛い小学生に「食べ「ら」れると言いなさい!」とか怒鳴りつけてそう。老害の極み。
(続)
阿嘉大橋から。
慶良間の海は凄いよ。
慶留間島の高良家。入場料が掛かる。
阿嘉島と慶留間島は原チャリで回るのが御勧め。
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