適材適所

だから、色々な形があるべきだと思っている。スピーキングやリスニングが強い奴が沢山増えるのは喜ばしいに決まっているし、そう言うのを目指したいと言うのも国の方針としては十分に理解出来る。

でも、それだけじゃないのは間違いなくて、昨年の東大行ったのだってさ、大分ハンデを乗り越えさせられた訳だし、全員に求める物じゃないと思うんだよねえ。今だって英語、楽な訳ないし、聞き取り辛いんだから。

スピーキング、リスニングは実技なんだよ。学問じゃないんだ。学問はペーパーテストだけで良い、文字の上だけで良い。物理が出来れば大谷の様にかっ飛ばせる訳ではないのだから。

どうしてもやるなら、国語の実力を測る時にプレゼンを強いなければおかしい。国語にもリスニングを導入すべきだ。そう言うのが得意な奴も勿論必要だろうけど、それだけではないんじゃねえの?

性格だって色々だしな、デスクワークが得意な奴もいればプレゼンが得意な奴もいるだろう、そこは治せない、吃音すら現代医療で治せないんだから。

こう考えると、兎に角コミュニケーションとか、阿呆かな。それこそ多様性を否定していると思うよ、ばんばん差別をするけど、俺の方が全然リベラル。

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