【和食30】弁証法の問題点

旧コラム

だが、文化の交差は本来歓迎すべきことのはず。外からの異文化の刺激、これこそが自らの文化の次世代になる。日本の歴史において、最低の暗黒時代は、江戸時代だ。鎖国、これこそがこの国の最大の間違った舵取りだった。

この点において、ヘーゲルの弁証法は正しいとは言える。アンチテーゼとの接点を拒否することに何らのメリットは無く、実際、江戸期の日本は世界から取り残された。

それを、開国後、挽回しようと、明治以降躍起になって、極端な変化を引き起こした訳で。鎖国なんてしていなければ、この変化はもっとスムーズに、そして、太平洋戦争なぞ起こさずとも、すんなりこの国は発展していた可能性が高い。

簡単に言えば、日本と外国、この無駄な線引きが、数多の悲劇を招いた。この点でヘーゲルの弁証法的歴史観は正しい面もあるのだが、俺がヘーゲルを嫌いなのは、その文明の進化論的思想。

俺が思うに、ジンテーゼはただの横ばいで、必ずしもアウフヘーベン、つまり、高みに上っている訳ではない。必要だから変わっただけの話で、それは進化と言うよりも、単なる変化だ。環境に適応しただけのこと。

歴史に弁証法を当てはめるならば、人類の歴史は常に進化の歴史で、現在から見れば全ての過去は愚かだったことになるのだが、そんな優劣、本当に有るだろうか。

(続)

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