ロックは攻撃性

旧コラム

前の続き。

前のリンクを踏んだ人は呆れるだろうな。だが、俺の中でのロックとはああいうものだ。強烈な攻撃性を持ってこそ。音楽性とかは各個人の好き好きだが、ロックというのは全方面に無制限無差別攻撃をして何ぼ。

余りに刺々しくて取り付く島もない、例え売れたとしても大衆に全く一切の迎合もしない、これが本物。こんな奴がどれ程いるか、と言われても俺は知らん。でも、そういう姿勢がなくなるならば、それはロックスターではない。

この世の全てに強烈な不満と反論を無尽蔵に叩きつけてこそ、ロックだ。飼いならされた犬が歌うロックなぞ聞けたものじゃないね、耳が腐る。それはもうロックではない。

そういう意味では、多くの人間は売れたらそこで終わってしまう。金や名誉を手に入れて、尚且つこの世に不満を抱き続けるのは非常に難しいからだ。売れる前までの情熱こそがロックと言える。

実際、多くのロックミュージシャンの名曲はほとんど初期に集中する。何十年も定期的に名曲を輩出できる奴なんてそうそういない。簡単に言えば、若さこそがロックであり、老いと共に人はロックを離れる。

だからそもそも、ロックに「大御所」なんてもの自体が不要。情熱の消えた老人はすっこんでいろ、表に出て来るな。新曲が作れなくなった時点で、もうそいつに価値はない。出て来るなら常に新譜を携えて来い。それがロックスターだ。

(続)

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