後に俺の人生を誰かが客観的に見る事が万一あるのならば、もう俺の最盛期はとっくに終わってはいるだろう。只、そう考えてしまえば今後生きている意味は余り見出せなくなる。
今後も生きるつもりがあるならば、そして今こう生きているのであれば、この考えは絶対に捨てねばならない、つまり、俺の最盛期はこれから来るのだ、と信じないなら、何も希望はないのだから。
二律背反、どう考えてもそんな事はあり得ないと、理性が言う。でも、いつが頂点かはグラフを描き切る迄分かりはしない。どこが頂点かを判断出来るのは飽く迄も俺の死後の他者だけだ。
来年は今年以上に面白いだろうか?昨年も確かにこの様な事を考えた。昨年、凄く楽しく仕事が出来た、そして、今後はこれ以上は無理なんじゃないか、と。
蓋を開けてみれば、同等以上に楽しく出来た。どうなるかなんて所詮分かったもんじゃねえな、とも思った。そうなんだけど、やっぱり来年は流石に、なんて又思う。
学習しねえなあ。つまらなくなる事を願っているもう1つの人格がいるからだろう、破滅願望的な。時間は一直線に進化し続けて真っ直ぐに進む、こんな考えは嫌い。ま、退廃的にちんたら、これが俺の性に合っているだろう。
コメント