こんな経緯で、大学入学以来の、約20年ぶりの親との同居生活が、ここ沖縄にて始まった。
なぜ、今こんな話、というところだが、この生活がちょうど転機を迎えたので。
実家は、まだ避難解除には至っていないが、出入りは自由になった。よって、両親は近くの町に家を借りて、しばらく実家との往復をするようだ。家のことが心配なんだろう。
まあ、冬場は寒くて嫌なので、こちらに戻ってくると言っているが。何にせよ、2年半の同居生活からようやく開放される。こんな自堕落な生活を延々としてきたので、やっぱり一人が快適だなw。
ということで、27日から親を送りに内地に戻る。既に船に親の車は乗せた。後は、いろいろと荷物運びを手伝って、30日にこちらに戻ってくる予定。
我が家の震災の影も、これにて一段落、というところか。そんな大したもんじゃないんだけどねw。両親もこっちでリゾート気分だし。
さて、新生活となることだし、いろいろマンネリの打破を目指すか。住居を移すのはまだ先になるけど、那覇は抜け出したいね。
以上、当時のブログを引用しながら書いた。興味がある方はこちら「沖縄パチスロ放浪記」で。そこの20110311あたりを、カレンダーから見てもらえれば。
昔からの読者には再生産で申し訳ないけど、当時の純粋な気持ちで書き記したかったので。
写真は一切なしで書いた。沖縄の暢気な写真は合わないし、あの震災の写真や映像なんかは、日本人全員が記憶しているところだと思うので、俺が偉そうに引用するものでもない。
こんな震災体験記も一つありかな、ということで、ちょっと書き記しておきたかった。湿っぽい話はこれにて終い。
(終)
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