沢山やるべき事があるからね、やるべき事があるってのは、常に希望に満ちているって事だ。この状況で暇な人間はいまい。日々、考える。考える日々。これで毎日が過ぎる。
前はこんなんじゃなかったんだけどな。この稼業を始めても、余裕は沢山あって、色々と作って、それでもまだまだ先取りし過ぎ、位だった。
今でも、そりゃあね、腐るほど問題集はストックしてあるし、例えば問題のレベルを難しくしてと言われれば、心行くまで鬼の様に難しく出来るんだけど、やっぱりそれぞれにフィットさせる事が重要な訳で。
ここは、混ぜるのが良いかな、ってのが最近の俺の意見。解釈教室みたいな化石例文を解くのも偶には意味はあると思うが、それは飽くまでも例外的な物であって、それ以外にさくさく読める英文を多読するのも必要だろう、って感じ。
つまり、さくさくの多読の中に、1割ぐらい難解な構文を入れて刺激を得るのも一興かな、と。難解な英文ばっかりも問題があるし、簡単すぎても詰まらんし、現実の比率的にもこんなもんであるべきだろう。
大は小を兼ねる理論。ありとあらゆる面倒な構文を、その頻度が低くても、そこまで理解をして置けば、英文を読む際には困らないだろう、って話。俺は正しいと思うけどね、この理論。
(続)
紅葉は、多少。
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