初めてパチンコ・パチスロに触ったのもこの町だしな。中学生の頃の夏休みに、暇だったんで、ゲーセン感覚で。浪江のサンプラザと言うスーパーに隣接していたパチ屋だったと思う。チャリで散歩したついでに打った。
一人で右も左も分からない状態で。店員のおばちゃんが懇切丁寧に教えてくれた。未成年なんて一発で分かっただろうが、まあ、そんな事にぐだぐだ言わない大らかな時代だったので。
クレジットの概念はこの時に教えて貰って理解したんで、それが付いている台だった事は確か。スーバニだったかなあ、なんか、アメリカンなイメージが残っている。パチは羽物だったと思う。
時代の流れによって店もなくなる事は多いし、特に田舎は過疎化の潮流に抗えないので、仮に避難命令がなくとも、俺の昔持っていた浪江町のイメージはとっくに一変していただろう。だから、ちょっとそのスピードを速めただけだ、避難命令は。
こう言う現実が見え透いているので、反原発の阿呆共の手先になるつもりは全くない。俺は今でも賛成派。あの辺の町は原発の誘致でもしなければ生き残れないから。失敗したからと言って今更後にも引けない。寧ろ、改善して、世界に誇る原発の町になるべき。
昨年見たあの更地も復興するのだろうか。でも、また津波が来たらやられるんで、町を作るのは無理だな。何か他の利用法を考えるしかない。
(続)
砂の海岸。
何でこう言う模様になるんだろうね。
この透明度だけでも、浅瀬で遊んで満足出来る。
まだいるのか、御前ら。
コメント