これに付随して思うのが、変換機能の限界。もし、この「ら」抜き言葉をスペルチェック機能が指摘して、オートコレクトをオンにしてあった場合、「食べれる」と言う言葉は抹殺される。「ら」抜き言葉の方が便利なのに、その普及が妨げられる。
マスコミではNGワードがあるので、それを使った場合、このスペルチェック機能と同様に弾かれるそうだ。だが、これに黙って従っているだけでは絶対に新しい表現は生まれない訳で。日本語の語彙が時代と共に変遷している事は明らかだが、このIT社会はその語彙の変化に対する大きな障壁となると言うジレンマ。
マスゴミは横並びの文字規定をやめるべき。テレビ局も数はあるんだし、NGワード・差別用語・全方向へのヘイトスピーチを朝から晩まで垂れ流しの局が1つぐらいあっても良い。
まあこれは現実的ではないが、少なくとも、変換の規定は撤廃した方が良いよ。「できる」は平仮名で書こうとか、林檎や蜜柑は片仮名だとか、こんなのは個人の自由にすれば良い。
誤字脱字・誤変換・誤用も、俺はそんなに目くじらを立てなくても良いのかなあ、と最近は思いつつある。ほら、こう言うのに煩い頑固な老害にはなりたくないじゃん?だから、年を取るごとに意図的に頭を柔軟にして行かないとね、と思って。
失敗は成功の元。言葉の誤りは新たな言葉の揺り篭。間違いが起こると言う事はそれなりに似た表現、紛らわしい表現であるからこそ生じる訳で。言い方を変えれば、間違われる様な元の言葉が悪い。そんなのは使う人間がどんどん直して行けば良い。
(続)
以前は定期便があった事もあった様だが。
空港は外地島にある。無人島。
展望台の道程で見た井守。
外地島の展望台から。
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