【新しい表現を・10】「ら」抜き言葉

管巻き

「山羊」「食べられる」:これはまず間違いなく「可能」。山羊に人が食べられると言う「受身」を想定する事がないから。

「熊」「食べられる」:これはもう完全に文脈に依存。北海道の居酒屋での話ならば「可能」になるし、「山中で」と言う言葉が前にあれば「受身」だろう。

助詞を無視すんじゃねえと言う反論は分かるが、「熊に」だか「熊は」だか「熊を」だかにしても、ほんの一瞬の音。これだけで全てを判断しろって、特に外国人からすれば厳しいだろう。

以上の様に、「れる」「られる」は「可能」と「受身」の区別が一番厄介。これが、助詞や文脈頼りに、もしならなくなるとすれば、良いよね?誤解は確実に減る。どう、反論ある?

こう考えると、「ら」抜き言葉が使われて流行るのは当然の結果だし、俺はこれを支持する。実際、方言によっては「ら」抜き言葉が正しいと言う事もあるそうだ。

まだ正式ではない以上、教育的場面等での使用は避けようと思うが、ここの記事では「ら」抜き言葉はがんがん使う事にする。流行らせて、将来的にはこれが正しい、としたいから。

(続)


慶留間島。人口が少ないってのは自然が残るって事でもある。

水ってこんなに透明なもんなんだな、本来は。

慶留間大橋から。

眺めていても飽きないね。

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