俺らが「猿」と呼んでいた、一日中パチンコ玉を拾い歩いている、猫背のダウン症っぽいジジイが、その「三光堂」にはいて、このパチ屋に入ってくる客は恐らく1日トータルで30人もいないと思うが、その滅多に来ない客が打ち始めると、この猿が後ろの席に座って観戦を始める。
板張りで軍艦マーチが掛かっていて、店内の客数よりも多い店員たちが、入って来る客に一切挨拶をする事もなく、店内の椅子に座って談笑しながら、煙草を吸って休憩している、後は死を待つだけの、終わったパチ屋。場末。「猿」はこの「三光堂」で、滅多に来ない客がたまたま落とすパチンコ玉を、一生懸命に拾い歩いている。それだけが奴の存在意義。
当時の三共の台は、「CRフィーバービックパワフルFX」「CRフィーバークィーンJX」とか、結構迷走していた時期だが、その筐体は特徴的で、ハンドルにパチンコ玉を挟める。もう、「この穴に玉を入れて下さい!」と言わんばかりの構造で、実際に入れると、ハンドル固定が簡単に出来る。
こういう経緯もあって、今のパチンコはハンドル固定が非常に難しい。御上から厳しい行政指導が入ったからな。「固定しやすい様なハンドルにするな」と。硬貨で固定どころか、使用済みパッキーカードを折り曲げて挟める様なのも駄目になった。御陰様で、今のハンドルは固定するのが非常に面倒臭い。皆も苦労している事だろう。
昔は、5円を挟んでいる客が多かったかな。「御縁」があります様に、って事なんだろうけど。まあ、パチンカスなんて、釘は見ないのに験担ぎにだけは熱心な、阿呆ばっかりだから。金がない癖にちょっとリッチに500円玉を挟んで、そのまま忘れてやめて行く様な阿呆もいたね。有り難い事よ。
(続)
ここの温泉は入らなかったが、機会があれば次回。
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