勿論、真逆の人間もいる。大学入学の時点で学部が明確に決まっている奴も当然いるから、それを拾う為に、センターのみの枠とは別に、一芸入試も行う。
例えば、理学部数学科を希望する者に対して、センターなどは一切課さず、純粋に数学の試験だけで合否を決定する枠も作る。この試験は、その代わり、難易度は無茶苦茶上げて良い。
法学部ならば、政経と論述のみ。面接やディベートを加えたりするのは面白いかも。経済学部ならば、数学と政経のみ、とか。
こうすれば、教養主体の広く浅くも、専門主体の狭く深くも、どちらも拾える。どちらのタイプだって必要である事は疑いない訳で。
話は変わって、義務教育で教養を作る、確かに難しいだろうね。そんな教師がどれだけいるんだってのも、その通り。ただ、教師の質を問題にするならば、英会話も同じ事で、現在英会話を義務教育にしようとしているけど、教えられる教師が少なくて困っている、とも聞く。
英会話が出来ない英語教師が腐るほどいる事は想像に難くない。まあ、この文を読んでいる奴の多くには耳が痛い事だろう。俺も含め。
じゃあ、英会話が出来る教師を育成して行こう、となるならば、生徒の教養を高める事が出来る教師を育成して行こう、となって然るべきではある。そして、俺は、後者の方が重要と考える、と言うだけの事。
(続)
久米島、立神への階段。行きはよいよい、だね。帰り、この階段を上るのは大変。
コメント
4,5は難しいですね。
私も解はありません。
ただ4にあるように広く浅くやっても結局は死ぬほど浅くて、その教育によってあなたが思い描く教養を得られる人は1%もいないでしょう。
かつその1%未満の人たちは放っておいてもおそらく教養のつく人たちです。
あと大学の試験を狭く深くするのも用意するのは基本賛成です。
広義ではao入試なんかもそうでうよね。
俺が想定している広く浅くなんて、多分、その死ぬほど浅いレベルだ。俺も、物理や化学の話になれば、その死ぬほど浅いレベルすら怪しい。これでも十分だろう。世界が少し広がるから。
ao入試はどうなんだろうな、わからん。ただ、SFCの様な失敗例もあるから、難しい所だ。