別に、どっちの方向でも良いのだが、やってみるしかねえか、とは思う。伝統的には各地に独自性があった訳で、これを保存する方向が無難で安全ではあろう。
でも、抜本的に改革しないとこの社会は変わらないとも思わなくもないから、グローバリズムを目指すのでも良いのかもね、とも。
だから言いたい事は結局、中途半端な事はやるな、ってだけ。公用語を日本語のままにして日本語教育を強化するか、英語に変えて日本語を捨て去るか、2択だ。
無論、俺も一応は分かっている。多分、大きな方向性としては後者へ舵を取っている。だが、急激な舵取りは大きな反発を生むから、前者の意見を尊重する振りをしつつ、後者へ軟着陸を目指しているのだろう。
只、その合間にいる世代は大変だなあ、と。どっちにしたら良いか、非常に曖昧な選択を迫られて、どっちつかずになる可能性が高い。現に、そう言うのが既に散見される。現場でかなり切実に感じている事だ。
英語、日本語、どちらの能力も中途半端、これは他の部分にも大きく影響する。これがミックスアップされるなら良いのだけどねえ、まあ、どう言っても仕方ない、そう言う奇跡が起こる事を願おう。(終)
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