ヘーゲル、弁証法的歴史観、レヴィストロース、ちょっと脱線し過ぎたか。偉そうに書いているけど、俺自身もまだまだ勉強中の身、迷ったりすることも多い。とりあえず、現状での俺の意見はこんな感じ、と言うことだ。
こういうのにも多少は興味を持って欲しいものだけれども、残念、見事にパチンカス読者を一掃した感があるね。それはそれでまた満足しているが、そろそろ最後、整理しようか。
文明は元々、人間が、生きて行くのに便利な知恵を出し合って作り始めたものだ。即ち、人間同士の交流を基礎に始まっている。だから、人と人との接点こそが文明と言える。
人と人とのつながりが家族であり親族であり友人であり、これが集まって部族になり、民族になり、コスモポリタンになる。交流が増えれば増える程、自らの器はでかくなる。
ならば、日本文化と外国文化、こんな線引きは無用の長物。民族主義的排他的思考は捨てよう。そして、沖縄文化と日本文化、この線引きも同様。うちなーんちゅとないちゃーなんて分け方は不要。
沖縄の人間が沖縄を大好きなのは結構だけどさ、そこで止まってしまうなよ、ってこと。自分の器、意識はもっとでっかく持とう。その為に必要なのは知識と経験。要は、もっと勉強しようぜ、教養持とうぜ、ってことだな。
(続)
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