太田、の続き。
こう考えて思い返してみると、沖縄のパチ屋はこのチェーンにもろに敵対するような場所には一切出店してないな。事情を知らない、外から来た「L」が、牧港に喧嘩を吹っ掛けたぐらいで。
国場のも、壷川、一日橋の両日光からは微妙に離れている位置だしな。つまり、既存店の新規出店は、太田との敵対ではなく、共存を選んでいる。今回のP時間も競合を避けて、パチ屋の空白地帯に出店。
現在でもこれほど影響力がある、かつてナンバーワンであった太田が何故落ちぶれたのかと言う解が、太田事件。1994年、全国30店舗が突然営業停止になった。沖縄の十数店舗を含め。
詳しくはわからんのだが、どうも、遠隔臭いな。まあ、この当時は裏物も当たり前の時代、こんなことはどこの店もあったのかも知れん。トップだった太田が見せしめになったのだろう。
これより少し前の1992年がパチ業界にとっては大きな転機で、違法なプログラムが当たり前だった連荘現金機を排除する意味での、合法連荘機、CR機が登場。これには脱税防止と言う意味合いもあった。
この年は裏物が当然だった3号機から、ノーマル機が前提の4号機への移行期でもある。まあ、当初から裏物は横行していたのだけれども、少なくともメーカーはそれには関与はしていない、と言う建前になった。
(続)
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