我喜屋

旧コラム

前の続き。

ここには久里原(くさとばる)貝塚があり、調査によると紀元前4500年から島で人が暮らしていたそうだ。縄文時代、沖縄では貝塚時代前期と呼ぶらしいが、その遺跡。奄美との交流があったこともわかっているそう。

まあ、貝塚ってのは多くの場合、見ても何も面白くないもので、ここもただの原っぱの公園。港前には歴史民俗資料館、有料で200円、があるので、歴史についてはそちらを見た方が良いだろう。俺は行かなかった。

Aコープでさんぴん茶を買って水分補給。だが、2Lで300円、離島だから仕方ないと言えども、かなり高い。那覇市内だと100円もしない。この島は稲作が盛んなほど水が豊かだから、買う習慣がなく、売れないから高い、という訳。

南下して、我喜屋の集落を散策。ここは昔ながらの珊瑚の石垣、赤瓦の屋根の家が多く残る。御嶽なども多く、島尻でも見た神アシアゲという藁葺きの建物や、神社もある。

そう言えば、この島は神社だな。田名、島尻にもあって計3つ、寺はなかった。明治以前の沖縄では、信仰の対象は御嶽であって、神社は存在しなかった。日本の天皇を祀るのが神社なのだから、琉球王国にはそれがあるはずもない。

仏教は受容はしていたようで、寺はあり、それが現在の波の上宮や普天間宮などの琉球八社になっている。なので、琉球八社は神社だが、その境内には寺もある。

(続)

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