金を稼げれば善、の続き。
詳細はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にある。要するに、現代社会というのは職業差別を撤廃したところから始まっていると言っても良い。
この観点から言えば、現代社会の根幹にあるのは、職業の多様性であり、どの職業も等しく必要なものであるという認識だ。金が稼げている以上、その行いは正しいと言える。
このコラムのテーマに戻そうか。これまでの話から、パチンカス諸君もこれで食えているならば堂々としていて構わないということになる。それは労働の当然の対価なのだから。
こんな稼業ですら、誰かに必要とされている、ということ。もし誰にも必要とされていないならば、それで金を稼げることは有り得ない。だが、現実には稼げる。ということは、これも一つの立派な職業だ。
そして、どんな職業でも努力して金が稼げるようになればなるほど称賛される以上、パチやスロも、下らねえゲームだけれども、勝つ為の努力は素晴らしい、ということだ。
学問は勿論、スポーツ、将棋、演劇、小説、漫画、その他どんな下らないことでも、努力すること自体は正しいし、結果、その対価として金を得られるのも当然のこと。だから、パチやスロで勝てることも同様に称賛されて良い。
(続)
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