スポーツは憂さ晴らし、の続き。
元に戻そう。スポーツで闘争心の憂さ晴らし、別に、それが悪いとは言っていない。いや、むしろそれで良い。本来戦争になるべきところを、スポーツという形で平和的にやっているだけなので。
ただ、騎馬戦や棒倒しなどでのあの感覚は忘れ難いね。「戦」的な感覚。正直なところ、実際に戦争をしてみたいという気持ちは俺には今でも多少はある。自分の全知全霊を闘争にぶつける、最高に気持ち良いだろうね。
この平和な世の中で生きていれば、全力、って場面は一度もない。様々なルールに縛られているから、喧嘩一つでも、相手をぶち殺すまでは普通行かない。やってしまえば、その後の不利益がたくさんあるから。
つまり、常にラインがある。越えてはいけないラインが、自分で、世間体で、常に引っ張られている。こういう箍がなくなるのが戦争である訳で。そういう意味では、戦争以外に全身全霊をぶつけられる場所は存在しない。
格闘技だって、結局のところルールに縛られる。ボクシングならば蹴り技は使えないし、総合だって目潰し、金的は禁止だ。そもそも、人間は道具を使う生き物、素手だけという時点でルールに縛られている。
人間が真に自由になれる場所と言うのは間違いなく戦場だろう。どんな卑怯なことをやろうが構わない。ありとあらゆる手段を持ってして良い、こんな状況に人間が置かれることは他のどの場所にもない。
(続)
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