年末の忙しさを締めるのが年賀状。社会人なら大変だろうな。俺は無論別の世界の住人なんで、一切関係ないw。
最後に書いたのはいつだろう。高校の時に書いたか?中学が最後かも。あ、思い出した、大学の塾講師の時代に、塾として送る年賀状にコメントを書いたわw。でもこれは個人的にではないからなあ。いつが最後かすら記憶にないな。
今はメールがあるから書かないってのは普通かもしれんが、携帯が一般的になったのは俺が大学の頃。高校の時には既に社会に不適合になりつつあった、ってことかw。
メールがある今でも全く送らん。来たら返すのは礼儀として当たり前だが、自分からは送らないな。
昔からこの年賀状って奴が大嫌いだった。たくさん書いていればわかる。同じ文をひたすら書き写す作業。多少のコメントの変化はつけたけど、実に愚かしいことが実感できる。これは皆異論がないだろう。
だからこそ年賀状作成ソフトなどが売れているわけで。皆くだらないな、と感じている風習なんだよね。だからテンプレでごまかそう、と。
断言してやろう。貰ってうれしい年賀状なぞ一枚たりともない。あ、くじが当たったら嬉しいかもw。でも、自分が送った奴で当てられているかもしれないんだから、そこはプラマイゼロだなw。
俺の記憶には一枚も残ってないな。そりゃそうだ。そんな年始のテンプレの挨拶、何の感慨もあるはずがない。下らない写真、干支のイラスト、こんなもの、見て、あっそ、で終わり。
別に年賀状に限ったことではなく、こういうテンプレの文全般がくだらない。誕生日も暑中見舞いも同じ。綺麗なレイアウトで作れました~、っていう、送り手側のオナニー。存在意義がわからんね。
もっと突き詰めると、「おめでとう」との一言にすら抵抗がある。何か、自分と相手との関係を考えた上での、自分なりの変化をつけた言葉で言わないと意味がない気すらしている。
ま、挨拶だからね。社会の潤滑油、ってことなんだろうけど、それが理解できないからこうなっているわけだなw。
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