【九州紀行・16】プラグマティズム

旅行記

一遍に沢山の方々と会ったのでちょっと名前が覚え切れなかったが、楽しく飲む。ミチヲの高校が底辺高校である事、皆喧嘩やパチンコの毎日だった事など、を詳細に聞いた。

佐賀の田舎だけあって、皆、方言はきつい。親父さんのが一番分からん。ただ、ミチヲの友人たちのは、黙って聞いていればだんだん理解出来て来た。この辺が語学学習の骨(こつ)だね、要は習うより慣れろ、って事よ。

パチンコ談義をしたり。ミチヲが理論派であるこちら側になっていたのが非常に納得行かなかったが。友人たち側だろ、御前は、何裏切ってやがる。波理論のオカルト派だろうが。まあ、波理論の彼から俺らはカステラを戴いたので、否定する奴はいなかったが。買収された。

この稼業で食う以上、オカルト理論はありえんし、そんな話にはうんざり。だが、生業にはしていない、ただ楽しく遊びたい人間が、そう言う理論を持つ事は俺は否定しない。

アメリカ発の哲学に、プラグマティズムってあってね。実用主義とか訳されたりする。大雑把に言うと、「神は存在するのか?」と言う問いに対して、「神が実際に存在するかどうか」はどうでも良く、「神が存在する」と考える事が人の役に立つなら真で、役に立たないなら、考える事すら意味がない、なんて考え方。

有用なら真、違うなら偽、とする、利益だけを考える、金儲け主義的な、資本主義諸国のトップ、アメリカらしい考え方。

波理論も同じ事。その理論によって、本人が一喜一憂しながらパチンコを楽しめるって言う点では、波理論はその人の役に立っているから、真、つまり正しい、と言える。だから、俺はオカルト理論には結構寛容。

(続)


背丈も低く棘もないので、取りやすい。

近くの山。色々利用されている。

燃料用の薪。

蜜柑を選別する為の機械。

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