浪江のイオンは寂しかったなあ、夕方なのに人いな過ぎ、全く復興なんて出来ていないと言う表れでもあるのだが。一応言うと、浪江町、昔はそれなりに栄えていたんだよ、この国道6号界隈では繁華街。これが今、これかあ。
信じ難いと思うが、でっかいスーパー、パチンコ屋、ボウリング場があって、夜でも輝いている町だったんだ、浪江焼そばなんて本当にどうでも良い位の、そんな名物に頼らずともやって行ける繁華街。
母方の実家があった場所に行った。やっぱり何もなかった、数年前にも見たけど、当たり前だな、もうこの辺は住むのが禁止、津波にやられる事が確定しているので、住んじゃ駄目。
集落丸ごとなくなった。何人位だろう、100位いたかどうか、でもそれが丸ごと解散、結構凄い事だと思うよ、母方の実家の家はかなり立派な家だったしな、今の家と同じ位。
立派な道の駅は出来てはいたけど。何もねえなあ、川俣の軍鶏を買って、終わり。川俣なんて内陸の田舎、めったに行く事もないんで何の愛着もないんだけど、浪江小高民からすると下に見ている。
川俣も人戻っているのかなあ、どっちかと言うと福一君、内陸側に撒き散らしたんで、そっちの方が解除が遅かった筈だ。山超えなきゃいけないからな、原町側の人間からすると遠い地域。
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