話が逸れたが、その当時の三共の台では、まず玉を買ったら3発3か所この穴に込めて、それでハンドルを固定するのが当然。やめる時にこの玉を取り外すのは結構面倒なので、たかが3発だし、普通、放置する。だから、大体どの台にも前任者の玉が挟まっていて固定されているので、座ったら、ハンドルを微調整するだけ。
「三光堂」の「猿」は、この玉を全て、回収していた。「三光堂」の三共の台には、1台たりとも、ハンドルが固定されている台は、ない。玉を挟んだままやめたら、「猿」がすぐにこれを取りに来るからな。
当時一緒に打っている事が多かった連れのデブは、この猿の行動を観察して笑う為だけに、猿が後ろで観戦しているのを知りながら、気付かない振りをしてわざと玉を溢して、猫背で顔の歪んだ汚らしい猿がそれを喜々として拾い歩くそのコミカルな動きを横目で見て、喜んでいた。
たった1玉でこれだけげらげら笑えるなら御の字なんだろうが、悪趣味ではある。駅前で死にそうな面をして座っている乞食の茶碗に小銭を入れてやる様なもんだが、そちらの方が、指さして嘲笑したりはしない分だけ、いくらかましだ。
元の話に。さすがに、こんな光景が日常である「三光堂」では、食えない。現在は、元々大久保にあったパチ屋「パイナップル」が、このテナントに入っている。今もあるんじゃねえかな、多分。もう10年ぐらい見ていないから、知らんけど。
(続)
向こう側は、オーハ島。橋はない。外国人英語講師のリンゼイを殺害して捕まった市橋達也が潜伏していた事で有名。
コメント
ニューギンは1個で大丈夫でしたっけ??
平和も1個で何とかなった様な。
取り敢えず、玉を押し込める形態のハンドルが普通だったはずです。
あの頃は、グランド坂下から出ている湯島行きの都バスがなかなか来ないんで、時間潰しで、対面のいなげやで弁当を買い、それをニューパルサーをうちながらよくくったよな。
猿を放し飼いにしたり、弁当食いながらパルサー打ってる奴を許容する店も懐が深いわな
牧歌的な時代だったな
弁当食って打っていたのは、大体ゲッタマだったはずだ。判別が通った事はないが。
いなげやも、もうないらしいぜ。