ちょっとふざけて書いたけど、鳩は、住み着いたら大変みたいよ。一度そこを住処とすると、かなりしつこいらしい。だから、もし飛んで来たら、最初が肝心。しっかり追い出さないとね、可哀そうだけど。そうしないとベランダがうんこだらけになる。
書いていて、思い出した。早稲田のパチ屋「みよし」と、鳩親父の家。学生の頃、家から近かったのもあって、良く通っていたパチ屋。
ちょっと話が逸れてしまうが、長々と、当時の事を書こう。タイトルも、それに合わせて変更。後で、「あの話、書いた事あったっけ?」とか、重複を避ける為に自分の記事を探す時に、検索しやすいんだよ、この方が。
パチンコを覚えたばかりの頃。もう20年近く前の話だ。
高田馬場には、ボッタク=日拓を始め、そこそこ店があったが、そこまで毎日通うのは面倒。早稲田から馬場までは、多少、と言っても15分程度だが、歩く。どうせ打つなら、しかもたかがパチンコ、家の近くが良い。職住近接がベストよ。
早稲田にあるパチ屋と言えば、「みよし」と「三光堂」。後者は俺の家から3分、一番便利なのだが、流石にここでは食えんなあ。店内の客は終日10人程度。2.5円の8枚交換だったかな。
ユニバーサルのソレックスって言う辛いスペックの集中搭載のスロットとか、夢幻伝説・ハニーフラッシュ7とか、当時でも他ではなかなか置いていない様な珍古台ばっかりあった、寂れたパチ屋。
因みに、上記のリンクは勝手に貼らせて貰ったが、この方、俺の少し上だと思うけど、同じ大学と思われる。行動範囲もかなり近い。恐らく何度か、いや結構な頻度で、御互いに会っていたんだろうなあ。店で狙い台が被って、台の奪い合いとか、したかも知れん。感慨深い物がある。記事は懐かしいし面白いので、暇な方は読んでみてくれ、御勧め。
(続)
久米島、バーデハウス。温泉などの施設。
コメント
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よくここまでの記事が書けますよね。
わたくしなんか記録していないため、
脳の片隅に僅かに残っているだけでどんどん消えて行く一方です。
最近、昨日何食べたか微妙な時があります。
いやいや、もう十分に忘れ掛けているんで、何とか必死に残そう、って感じですよ。
早く、あの時代の事を形にしないと、って焦りはあります。