だから、統一か多様性か、と言われると、俺は後者の方が重要なのではないかなあ、とも思ったり。多様である以上沢山争いは起きる。でも、それも生物の宿命なのかなとも。闘争も本能の内。
食いたい、寝たい、やりたい、そして、戦いたい、だから、良いんじゃねえかな、平和なんて害悪でしかない。よって、言語も同じで、常に言語の闘争が起きていて良い。
寧ろ、こう言う争いが促される事で進歩して来た面もあるのではないか。英語を喋る奴はその言語を世界に押し付けて来るだろう。それに屈して受け入れる奴もいるし、徹底的に抵抗する奴もいる。
俺は後者。だから、英語は話せなくて良い。そんな物に染まりたくないから。片言に留めて置きたい。日本人として、日本語をメインに話す者として、飽く迄も教養の学問の1つとしてだけ学びたい。
グローバリズムこそが未来と言うなら、英語だけにしたら良いのに。小学校から英語「も」教えよう、ではなくて、英語「だけ」を唯一の公用語にしよう、そうあるべき。
公用語にしないなら義務教育で教えるな。義務教育で教えるなら公用語にしろ。どちらかを選べ、と言う事だ。
こうやってはっきりさせるなら、どちらを選択するにしても、方針としては間違っていない。
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