【和食37】人種のサラダボウル

旧コラム

無論、アメリカだって、国内外に山ほどの問題を抱えている。国内では、移民が多く、人種の坩堝(るつぼ)、現在では、人種のサラダボウルと呼ばれるが、それ故の問題が山積。

「人種の坩堝」という呼び方だが、様々な民族が混ざり合って生活しているところから、昔はこう呼ばれていた。だが、現実を見れば、民族同士そこまで溶け込んでいなくて、それぞれの民族がそれぞれのコミュニティーを作っている。

ニューヨークには、中国人街、ユダヤ人街、イタリア人街などがあって、それぞれの民族でまとまってしまっているところがある。実は御互い溶け込んではいないので、最近では「人種のサラダボウル」と呼ばれるようになった。

アメリカは、そんな国だからこそ起きる問題も多々あって、銃乱射事件とか、しょっちゅうやっているしな。いい加減銃規制すれば良いと思うのだが、独立宣言の「抵抗権」に縛られて出来ない、と言うね。

抵抗権で銃を持って良いなら、個人で戦車や戦闘機、核兵器すらも、持って構わないと思うんだけどね。銃だけ認めて他は駄目、おかしいだろこれ。アメ公も阿呆だな、オバマも泣いて演説するわ。

国外では、中東に介入するから、恨みを買ってテロの標的になっている。だが、こういった国内外の問題、それを補って尚余りあるアメリカの魅力は、文化の交差から生み出されているのではないか、と言うこと。

(続)

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