例えば、人間の最終目標、幸福の定義、みたいなのを「平和に生きること」に置くとするならば、アマゾンやバヌアツやパプアニューギニアの山間奥地の諸部族なんかは最高だ。
人類の歴史を、一直線に伸びる、進化の時間の流れと定義するならば、彼らの文明は一見して物凄く遅れているように見える。ネットもパソコンも使いはしないだろう。だが、これだけで劣っていると言えるだろうか。
彼らの部族も、部族間でそれなりに小競り合いぐらいは有るだろうが、西欧のように派手なドンパチを起こして殺し合ったりはしていない訳で、その点、実に平和に生きている。
もし「平和な社会」を人間の文明の判断基準にするならば、むしろ、彼らの方が至って優れているとすら言える。外部の文化と遮断されてはいても、自給自足で生きて、これで平和にやれる、理想だとは思わないか?
つまり、ヘーゲルの言うような、文明の進化は、机上の空論。単なる変化だ。西欧では人間が増えすぎて争いがしょっちゅう起きたから、今の形に変化しただけ。
アマゾン、バヌアツ、パプアニューギニアは、人間が入りにくい場所で、異文化との接点がなかったから、今の形が残された。だが、彼らは彼らでうまくやっている。文明間に優劣は無い。
(続)
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