多良間紀行に戻ろう、の続き。
島南部の「たらまゆがぷうランド」へ。テニスコートやグラウンドゴルフ場、キャンプ場があるが、使われている気配はない。こういう箱物は実に無駄。この島にテニスをやりたくて来る奴はどう考えてもいない。
地元の人用かも知れんが、過疎化しつつあって高齢者が多いこの島の人間が、テニスやゴルフをどれだけやるかね?こんなところでキャンプをするとも思えんし。海なんて毎日見ているんだから、ビーチパーリーもやらんだろ。
その南の海岸には「宮古市の森」と「報恩之碑」がある。江戸末期に岩手県宮古市の商船が座礁した場所。それを島民が助けたので、ここにその感謝の碑が建てられた。宮古市と宮古郡、何かの縁だね。今でも交流はあるようだ。
島の真ん中を通って、ヤシガニを飼育しているところを見て、さっき雨で見られなかった、島の東部にある塩川御嶽とフクギ並木へ。周りが遮るもののない畑なのに、ここだけフクギの並木が長々と続いているので違和感がある。
御嶽には鳥居があった。戦後に撤去しなかったんだな。手水舎(ちょうずや、てみずや)、これは神社にある手を洗うところな、もあるんだが、水道になっていて風情が無い。御嶽も、比較的新しい事務所みたいな小屋があるだけ。
これで島は一通り。集落内に御嶽は多いのだが、道が非常に狭く車だと逆に不便なので、徒歩の方が良い。どこの島でも集落内の道はこう。車だと1台がぎりぎり、って道ばかり。何でなんだろうな。
(続)
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