前の続き。
少し坂を上ったところに屋蔵墓という案内が見えたので、下って海の方へ。琉球最初の統一王朝を立てた尚巴志(しょうはし)の曽祖父、屋蔵大主(やぐらうふぬし)がここの出身で、その墓ということだ。海は綺麗だが、ふーんという感じ。
一山越えると次の集落、島尻。ここは海人の集落、島最大の漁港があって、朝に行けば水揚げも見られるようだ。集落にはノロ(祝女)と言われる女の司祭が神事を行う場所である「神アシアゲ」と言うのがあった。
簡単に言うと藁葺きの櫓だが、足が極端に短く、50cm程度。外からは中の様子が見えない仕組み。まあ、ふーんって感じだな、これも。俺は民俗学的なものはあんまり惹かれないね。
ここから先はしばらく平坦な道で、左手に遠浅の海、右手に円錐形の山を眺めながらのサイクリングが爽快。車もほとんど通ることがなく車道を快適に走れる。名所には幟が立っていて、スマホでスタンプラリーが出来るのだが興味無し。
途中、北緯27度線という看板があるが、これは1953年に奄美が日本に返還された際、この線よりも以北は返還、以南は沖縄として1972年まで米軍が占領を続けた、というライン。
この伊平屋島はその線上にあるが、こちらは沖縄ということで占領下のまま、これよりも若干北にあった与論島は奄美の一部ということで返還された。
(続)
コメント