どれだけ稼ぎたいかは、人生観

旧コラム

金を貰えていれば職業、の続き。

俺もこんな稼業だからね、多くの人間は俺を見下しているだろう。いくら底辺と見て貰っても結構だ。いくら侮蔑されたところで俺には何の害もないから。それに、俺もお前のことを下に見ているしね。お互い様、人の勝手よ。

だが、表現の自由を制限されるとか、選挙権に制限がかかるとか、ハンムラビ法典のように身分による刑罰の差があるとか、そういうことは許されない。どんな生き方をしていても、それを社会的に否定するのは駄目だ。

まあ、どんな職業も「金」という面ではランク付けされている。金を稼げれば稼げるほど、それは能力が高い人間にしかできない職業ということだ。

金と努力には相関関係があるんだから、怠けている奴は因果応報、それで十分じゃないか?怠けていれば貧乏という報いを受けているのだから、それ以上に職業差別をする意味がないことがわかる。

稼ぎたい奴は寝る間を惜しんで働けば良いし、そこそこで十分という奴は余暇とのバランスを考えれば良い。最低限の生活さえ出来ていれば満足、という奴がいても良い。それは個々人の人生観だ。どれが正しい、というのはない。

俺は生活保護の金額で我慢しろと言われても無理だから、多少は働く。でも、立派な家を建てたい、都心の一等地を買いたい、外車を買いたい、派手な生活をしたい、名誉が欲しい、こんなことは思わないから、労働時間は最低限で。

(続)

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