働く意義

旧コラム

3月29日日曜。泥酔したまま朝を迎える。泡島を送って寝る。これでこいつとの飲みもしばらくはないな。向こうでばりばり働けよ。言われるまでもないと思うが。

難しいよなあ、金に余裕があっても時間がない。仕事って何の為か、俺には未だに答えが出ていない。大企業の社長ともなればもはや働かなくて良いほど金はあるはずだが、それでも働く。何の為に?

名誉か?背負っているものが違うのか?何の為かはわからんが、働くことに意義を見出している、そういうバイタリティーがある人間がこの世をリードしているんだろう。俺にはなれそうもないな。

だからこそ沖縄でセミリタイアみたいな生活をしているわけで。引退と言うと聞こえは良いけども、そうじゃないな、リタイアだ。F1のリタイアをイメージしてくれた方がわかりやすいか。

単に走れなくなっただけ。後進に身を譲るみたいな格好の良いもの、勇退、じゃないってことだ。逃亡と言い換えても良いな。最前線で戦うのが嫌になった。

後世に名を残すことは、子々孫々のことまで考えるならば重要だ。子孫の誇りはまず先代によって保たれる。その為と思えば茨の道も歩けるということか。俺にはわからんが多分そういうことだろう、ならば歩くしかないな、泡島。

さて、逃亡者は昨日の飲みで眠いので、夕方まで寝ることに。メールでごたごたしたが、昨日の絹とそのアフターの記憶が飛んでいるつけ。一応、仕事の下見には行った。俺も少しは心を入れ替えて戦いますかね。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました