この景色が残されることを、の続き。
さて、まだ夜には早い。残りの時間、宮古島の北側を巡ってみますか。その向かう途中、人頭税石を発見。薩摩に征服された琉球王朝、要は沖縄本島が、払う金に困って、宮古、石垣に押し付けた結果がこれ。
トレイントレインを地で行く話。この島からすれば、積年の恨みが篭った石。この石より背が高くなったら、重い税金を課される、とかだったかな。人頭税の廃止は1903年だから、そう昔のことではない。
既に書いたが、一括りに沖縄と言えない歴史がある。こういう話、しっかり書けよ、琉球新報、沖縄タイムス。こいつら、こういうのにだんまりで、闇に葬ろうとしているからな。絶対に許すな。
まあ、宮古には「宮古毎日新聞(毎日系)」「宮古新報(読売系)」があるし、石垣には「八重山毎日新聞(多分毎日系)」「八重山日報(産経に近い右寄り)」があるから、大丈夫だろう。言うことは言う筈。
この新聞の数を見ても、沖縄本島、宮古、石垣、それぞれ違う意見と視点を持っている、ということがわかる。離島は、虐げられた歴史からも、沖縄本島に対する「同じ沖縄」でありながら「違う沖縄」、という意識が混在している。
こんな話をすると長いので、先へ。砂山ビーチ。名前の通り、砂山を越えるとビーチが待っている。真夏の天気ならね、登りながら眺める青い空が、歩を進めるごとに海に変わるグラデーションが素晴らしいのだが。
冬場の海だからか、波が結構荒い。ここはいつも強めの波の気がするが。ここで泳いだことはないな。鮫がね。かつて死亡事故があったし。俺が見たいのはせいぜい50cmぐらいの魚であって、2m、3mの鮫はお呼びでないよ。
(続)
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