ネタ放出・5

管巻き

言いたくても我慢して、自分の功績が絶対に覆ることはない、そう言う最後の状況になってから、初めて自分の成功談を語るべきだ。人間のゴールは死んだ時だけ。

42キロ走って、死ぬ直前、競技場に入って後続は全く見えない、これでようやくトップでのゴールが見える。日経で「私の履歴書」を書く要請が来て初めて「自分は競技場に入ったんだな」と認識して良い。

死ぬ瞬間まで、自分の名声が天から地に落ちる可能性は0ではない。成功談を語ると言うのは、自分の人生に満足してそこで胡坐をかくと言うことだ。つまり、先がない。もう上に行く気がない、上がない人間だけがこう言う事を語る。

人間は死ぬ直前まで「自分はまだ未熟」と思わねばらない。そう思わなくなった時がその人間の行き詰まりの場所であり、その後の成長を放棄するということに等しい。

最後まで分からない。清原は成功したのだろうか。数字は素晴らしくとも、成功者ではないんじゃないか?立浪はどうだろう。実績はあって、当然監督だろうと思われていたのに、これ。

アイドルはどうだろう。若くしてちやほやされているのだから大方成功なんじゃないだろうか、ってのは分かる。でも、ここで人生が終わりではない。寧ろ今後、あの人は今、というステージが待っている。

人生って、後半の方が長いのよね。2030台で成功しても、まだ実は折り返しにも達していなくて。こんな所で油断して寝っ転がっていたら亀にさくっと捲られる。

日々勉強だな、と。ゴールなんてないんだから、謙虚に、毎日学ぶ。その日々こそが生き甲斐を感じられる。自分の人生を誇る日は今際の際だけで良い。


大分の神社。名前は憶えていない。

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