【和食43】今度はカント

旧コラム

そんな財界の奴が「移民賛成」、俺には「奴隷賛成」としか聞こえないね。だから、「移民賛成」、俺の結論とこいつらの結論が一緒と思うと、腸が煮え繰り返る。なので、移民賛成に回るのに物凄く抵抗感があった。

カントの動機説だな。俺は定言命法に従っているが、奴らは仮言命法で動いている。俺の「移民賛成」には道徳性があるが、奴らの「移民賛成」には適法性しかない。まあ、わからないだろうから、以下に説明する。

先に、ヘーゲル、ドイツ観念論の大成者、の話をしたし、ちょっと寄り道しよう。凄く遠回りだけど、こういう御遊びの余裕も必要よ、付き合え。ドイツ観念論の、今度は創始者、カント、の思想、その中でも、動機説の話を。

例え話から。沖島君が電車で移動中、目の前に立っているのもやっとな老人が乗って来た。弱者は労わるものだ、席を譲って当然、そう思って沖島君は席を譲った。

同様の状況で横島君、ここで老人に席を譲ったら、同じ車内にいる女子学生達から好感を持たれるのではないか、もてもての未来を想像して、席を譲った。

老人に席を譲ったという結果は、沖島も横島も同じ。だけど、これは一緒で済ませて良いのか、ってこと。善か偽善か、っとことだ。この話を聞いたら、横島は邪、誰でもそう思うだろう。

(続)

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