保護の必要性、なし

旧コラム

前の続き。

犬や猫の去勢や避妊手術も動物虐待だぜ?この動物は保護しよう、この動物は保護しなくとも良い、神にでもなったつもりか?これこそエゴだと思わんかね?

いや、俺はこのエゴで良いと思っているのだが。全ての生物は人間の都合で生死を決めて良い。だから、俺はこのエゴは悪い意味でのエゴではないと思っている。これが人間が生きていく上で当たり前なのだから。

農業も漁業も牧畜も林業も工業も、これで成り立っている。稲を食い荒らす害虫、害獣は排除する。益虫、益獣ならば生かす。稲は育て雑草は抜く。トキは飼育しヒグマは撃ち殺す。こうやって生物を選別している。

人間はまず人間のことを考えるべき。それ以外の生物は、人間の為になるかどうかという視点で見て構わない。食いものとして価値がある牛、豚、鶏は育てる。その上で殺して食う。俺はここに何らの疑問も抱かない。

ジュゴンは日本において現状特に役立たず。害でも益でもないな。なので、気にかける必要がない、ということだ。そもそも、そんなにジュゴンを保護したければ、海岸線を一切埋め立てるべきではない。

だが、沖縄本島の東岸、至る所で埋め立てが進んでいる。これには反対運動が起きない。何故か?簡単だ。都市部の拡張という名目ならジュゴンが滅んでも構わないという世論なのだ。まさにエゴ。ジュゴンを守れ、今更過ぎる。

もはや3頭しかいない沖縄のジュゴン、絶滅は確定的だ。繁殖能力が低いようだし、3頭では番いを作れて一組。10頭いたとしてもかなり厳しい。だから保護なぞもう遅い。散々乱獲した沖縄県民こそが悔恨すべき。

(続)

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